Josef Pitzekを偲んで(記載は2月) - 2019.02.08 Fri
そもそもSeppi(本名・Josef Pitzek)と知り合ったのは1975年、ウィーン留学して1年経った頃のことだった。
夏のシェーンブルンのオペラに観客として出向いた。
オーケストラピットから打楽器奏者が「来てくれ」といった合図で呼ぶ。
何でもコントラバス奏者が一人倒れ(後に親しくなるE.Z.氏)、譜めくりを頼まれた。通常コントラバスも二人並んで、隣りが譜をめくる。楽器はあるので、めくりついでにSeppiと並んで演奏もした。勿論弓など持参していないから、全部pizziccatoで。
翌日からは弓を持参し、オケの飛び入りとして楽日まで演奏した。
そうこうするうち、秋にORF-Symphonieorchester(オーストリア放送局シンフォニーオーケストラ)の入団試験があるから受けてみないか?とSeppiから誘いがあった。
受けた。受かった!
これで、音楽会も立ち見だけではなく、これからは座って聴けるぞ!と嬉しかった。
その他にもPitzek氏の誘いで、Wiener Kammeroper(ウィーン室内歌劇場管弦楽団)、Ensemble die Reihe (アンサンブル・ディ・ライエ)、Ensemble Kontrapunkte(アンサンブル・コントラプンクテ)、Ensemble 20. Jahrhundert(20世紀アンサンブル)等の仕事をさせてもらった。室内楽のメンバーとしても、ウィーン、ザルツブルクをはじめとするオーストリア各地、ポーランド、ドイツ、イタリア、など各国各市の音楽祭に出演するようにもなった。
後に結婚してから、更に子供も含めて家族ぐるみのお付き合いが始まった。
互いの家を行き来するのみならず、休日にはAusflug(直訳・遠足)でドナウ川に沿って車を走らせ、本当に楽しい時間だった。
そのうち写真を載せたいと思う。
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